オンとオフ。

暑い。

集中力の欠如が著しい。

 

こう書くとこの二つの間に関連性があるようだが、実は違うのではないかと大学からの帰路で考えた。

 

確かに夏の暑さは毎年異常だし(もはやそれが正常?)、私は中学・高校と夏休みの課題を溜めに溜め、結局秋風が吹いて涼しくなっても手こずっていたのをよく憶えている。

 

しかし、思えばそれは夏に限ったことではなく、たまたま大きな連休が夏にあっただけであり、ふだん出される課題にも同様に煩わされては苦い顔をしていた。

 

そうか、根っこが集中力のない人間なのか。

 

もちろん集中できることはある。

音楽を聴くことや自分が好きなものをノートに書き出すこと、そして勉強においても漢字や英単語をひたすら書いて覚えるのは好きだったし集中できていた。

 

しかし、だんだんと学年が上がるにつれ、そのような単純な家庭学習は無くなり、問題文や解答の導き方も複雑化した。

 

めんどくさいのが嫌いだった。

非常にシンプルな理由だ。

 

だがこれしか考えられない。

 

中学・高校の課題であれば夏休みが過ぎても先生は待ってくれていたが(もちろん期間内に出すに越したことは無い)、大学ではそうはいかない。

期間内にレポートを出せないとその時点で半年分の単位を取り損なうことになる。

だからこそ根っこを変えられなくても無理矢理に鞭を打ってでもやらなければ。

 

しかし、現実は鞭を打つことすら億劫になってしまっている気がする。

 

中学時代、私は卓球部に所属していた。

全員が何かしらの部活に所属することが義務付けられていた。

高校に入るとそのような義務は無くなり、私は帰宅部となることを選んだ(何も選ばなかったとも言えるが)。

中学より勉強に当てる時間が増えるかと思ったが、使用可能な時間の総量と意識の問題はもちろん別だった。

 

現在、私は大学でも何のサークル活動もしていないし、バイトもしていない。

しかし、課題に時間を使うこともあまりない。

 

結局高校から何一つ変わらないまま環境だけが変わってしまった。

 

なぜ部活動をしながら、バイトをしながら、他の学生は勉強に時間を充てられるのか。

高校時代から疑問だったが、本日一つの仮説を打ち立てた。

 

部活動やバイトなど勉強から一旦離れることでスイッチを切り換えられるのではないか、というものだ。

 

現に今の私は講義中とそれ以外の生活との境界線がぼやけているように感じている。

 

そこで、自分のスイッチを見つければ課題に意欲的に取り組めるのではないか、という結論に至った。

「やる気スイッチ」、そういうことだったのか。

 

まずは暑さを解消すること。

そして自室にいるとグダグダしてしまうので外に出てカフェなりファミレスなりで作業してみようと思う。

 

明日は。

 

今日はとことんスイッチをオフにするのだ。