瞬と閃
ビリビリしたくなって小説を読むことにした。
そうか、俺はずっとビリビリしたかったんだ。
何度も死にかけた。
小5のあなたはおじいちゃんの軽トラが雪の壁に突っ込んで……
高2のあなたはスキー場の頂上で遭難しかけて……
先週のあなたは停まっている車の前を横切ろうとしたら轢かれかけて……
死にかけた。
そんな事思い出した。
でも今のあなたは生きている。
これからも生きていて。
幸せな最期に出逢えるようにーーー。
めんどくさい人間。
何かに熱中しても上には上がいることを知ってやめてしまったり、一番になったらなったでつまらなくなってやめてしまったり……
満たされることは無いんだろうな、と思うし、満たされているように見える他人を羨ましくも思う。
でも案外他人も自分を羨んでいたりして……
人は自分が持っていないものを欲しがる生き物だから。
天国みたいな日。
たまに天国みたいだと思う日がある。
それは休日で、ただただ自分がやりたいことばかりしていた日。
でもそんな日が続くと退屈なんだろうな、ということも容易に想像がつく。
同じようにもし本当に天国があるとして、初めの内は楽しいけどだんだん退屈に感じるようになるんじゃないだろうか。
そしてもし本当に生まれ変わりなんてものがあるとして、そんな退屈に飽きた人々がそれを選択するんじゃないだろうか。
そんなことを考えていたらラジオから本当に天国みたいな歌が流れ始めた。
途端に自分がそんなことを考えていたからこの歌が天国みたいに聴こえてしまうのか、それともこの歌が天国みたいだから自分がそんなことを考えていたのか、順番が分からなくなってしまう。
でもそれくらい曖昧なほうが適度な幸せなのかも知れない。
そもそも天国なんてもの、例えにしか使わないのかも知れないけど。
函館の夜景。
中学生の時に修学旅行で北海道へ行った。
札幌や小樽の街並みも寒い地域ならではの暖かさを感じて好きになったが、最も印象深かったのは函館の夜景だった。(ベタだけど)
予定では旅館で夕食を済ませたあと函館山から夜景を見ることになっており、僕は出発前に一旦部屋に戻れるだろうと思い荷物を部屋に置いてきてしまった。
これが後悔を生むことになる。
先生の先導で、皆が夕食を取った座敷から直で外にぞろぞろと出ていく。
今カメラを取りに戻ったら確実に置いていかれる。
とうとうカメラを取りに行くことができないままロープウェイに乗ってしまい、僕は半べそ状態だった。
綺麗な夜景を臨み、カメラを向けるクラスメイトたちを悔しいような寂しいような気持ちで見ていた。
涙混じりで見下ろした夜景は確かに綺麗だった。
想像よりも遥かに。
しかし、当時の自分の胸中では学校に帰ってからも、何ならその後修学旅行の記念アルバムに使う写真を選んでいる時も、あの綺麗な夜景を写真に残せなかった悔しさがずっと渦巻いていた。
あれから6年が経ち、今になって思い出すと写真になんて取らなくても良かったな、と思える自分がいることに自分でも驚いた。
そもそも撮った写真を見返すことなどあまりないし、必死になってカメラを覗き込むより肉眼で見ていた方がずっと良いに決まっている。
写真のように鮮明とは言えないが、今でもあの綺麗な夜景にため息を漏らしたことを思い出せる。
6年越しに自分を肯定できたのがなんだか嬉しかった。
花火大会に来ているのに花火を肉眼で見ない人が多いことに愕然とし、ふとそんなことを思い出した。
ネカフェでレポート。
日付変わる前に帰る予定だったけどこれもう無理だな。
予定変更……
真っ昼間の花火。
自転車で来たのか車で来たのかはよく覚えていない。
人気の無いところに自転車を停めた覚えはあるが、エンジンを止めてシートベルトを外した記憶もある。
誰もいない真っ暗な河辺を歩く。
生い茂った草の間から飛び込み台のようなものが延びている。
ちょうどテレビの鳥人間コンテストで見るようなものだ。
なんだか思い切り飛び込みたい衝動に駆られたが草を掻き分けて進む。
前に2人組が歩いている。
テレビでよく見る人気芸人だった。
急に夜空が眩しさに包まれ、CGのように精巧な花火が上がる。
「花火ですね。」
「綺麗ですね。」
僕はナインティナインに話し掛けた。
岡村さんが僕に何か言葉を返したが花火の音でうまく聞き取れない。
僕はいつの間にかオードリーの若林になっていた。
本当に好きな芸人だからなのか、オードリーのANNを聞きながら寝落ちしたせいなのかはわからない。
暗闇の先には華やかな屋台が並び、屋根つきの小屋で座って花火を見ている親子、中学の友達の家族だった。
僕は僕に戻り、支離滅裂な話をする。
誰も手をつけないローストピーナツを僕は一気に口に流し込む。
目覚めると13時を過ぎたところだった。
ああ、スクール革命を見逃した。